私が25年程前、人生を賭けた大ばくち(株投機)で大損し、全財産を失くしたときかあちゃんには苦労を掛けた(今も掛け続けているが)
ある時期手元不如意で、かあちゃんに渡す金もままならぬ事態に陥った時、かあちゃんは何も言わず、一言の文句も漏らす事なく突然働きだした。私としてはそれまで専業主婦に徹しろと帝主関白風を10数年吹かせてやってきた手前いい顔をしなかったが、かあちゃんは8人の子供を抱え生活もある事からそんなことはいっておれず止むなく勤めに出る事にしたのだと思う。
仕事としては知り合いに誘われた歩合による保険の外交員だった。これだと社員ではなくフリーで働けるので8人の子供の面倒を見ながら働けるし、割と時間が自由になるから決めたようである。
私も当初はいい顔しなかったが、これも仕方ないかと黙認しながら様子を見ていると、やがてわかった事はかあちゃんの愛想の良さと熱意もあってか報酬は徐々に上がり結構稼げる事がわかった。
私はそれまで長年自営企業主として働きづめに働いて来たのでここらで一服してもいいかなと、かちゃんの収入でしばらくしのごうと甘い考えが湧きだした。人間往々にして楽な方へ、楽な方へと流れがちである。これはしめしめとあるときそんな考えをかあちゃんにちらと漏らした。
するとかあちゃんは何を考えたか、私のその話しを聞いてからすぱっと会社に辞表を提出し、折角の優積者の道を断ってしまった。そして「私はこれ以上出来ません。あとはお父さんがなんとかして下さい」と生活の道を私に託した。
かあちゃんとしてはこれが私を怠惰な道に行かせないための最良の策と考えたようだ、彼女は私の性格を知り尽くしていて発破をかけたりすれば反発するし、かといって自分が強くなれば逆に主人は弱くなると考え、肉を切らせて骨を断つ作戦にでたようだ。
そのときは私も気楽に考え、しばらくは髪結いの亭主といくか、と、楽を決め込もうと考えていたのでこれには少なからず驚いた。楽な環境から一転して夫としての自覚と覚悟を問われる事となり逆に厳しい立場に立たされた。こうなると再度ふんどしを締め直し何か事業をやらざるを得ない。
現実問題として一家10人の家族(母もいたため)と妻子を路頭に迷わすわけにはいかず、前々から誘われていたにもかかわらず子供が小さかったためと、その頃仲間の先端企業に携わっていたため見識だけは高く、役にも立たないクソ・プライドに阻まれ飲食業進出に躊躇していた経緯がある。しかしここまできたらそんな事は言っていられないとばかりに旧知の居酒屋チエーン大手創業者の元に駆け込んだ。
30才で独立してからこれまで人に使われた経験がないのでサラリーマンにはなれそうもなく、究極選んだ道が居酒屋経営だった。折よく上の子供達も大きくなり使えるめども立っていたのでこれも幸いした。
それからは年中無休を打ち出し、ファミリー一丸となって不眠不休でハングリー精神をテコに居酒屋経営に猛進し、それが8年連続8店舗開店の原動力ともなり記録ともなった。それぞれの店の店長には子供達及び娘の連れ合い(娘の結婚相手は居酒屋店長を条件に決めさせた)を据えた。
今振り返ってみるとこれはかあちゃんの私をやる気にさせる高等戦術だったのか、あるいはかあちゃんの術中に私がはまったのかわからないが、今かあちゃんに聞いたとしても只笑うだけで何も答えないだろう。
敵もさるものと回想する今日このごろである。